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    2009年7月22日(水)午前11前くらいから観測される皆既日食。
    日本で、皆既日食が観測できるのは、奄美大島の北部・喜界島・屋久島・種子島の南端・トカラ列島・硫黄島・北硫黄島・南硫黄島といった東シナ海に浮かぶ島々のみ。
    その中でも悪石島では、6分25秒。
    喜界島では、1分41秒。(午前10時57分ごろ~10時59分ごろ)

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    知覧町

    知覧町(ちらんちょう)は、鹿児島県薩摩半島の南部中央に存在した町で、川辺郡に属していた。2007年12月1日に川辺郡川辺町、揖宿郡頴娃町と合併し南九州市となった。

    武家屋敷が残っており、「薩摩の小京都」と呼ばれる。

    地理

    知覧町知覧特攻平和会館から見た空
    鹿児島市から南南西へ約36km、薩摩半島の南端部に位置する。町域の南部は東シナ海に面する。町域北部の内陸部が中心地域となっている。

    山:母ヶ岳、知覧岳、大隣山
    河川:麓川、永里川、永沢川、竹迫川、加治沢川、

    隣接していた自治体
    鹿児島市
    枕崎市
    頴娃町
    川辺町

    歴史
    江戸時代は島津氏の傍流、佐多島津氏による統治が行われた。主に享保年間に島津久峯の統治下で上級武士の住居と外敵からの防御を兼ねた武家屋敷が築かれた。

    1941年には町内に陸軍知覧飛行場が完成した。その後太平洋戦争末期の沖縄戦では、知覧飛行場は本土最南端の特別攻撃隊の出撃地となった。


    行政区域の変遷
    1889年4月1日 町村制施行により、給黎郡郡村・厚地村・永里村・瀬世村・西元村・塩屋村・東別府村・南別府村が合併し知覧村発足。
    1896年3月29日 郡区画改正により、川辺郡に属する。
    1932年4月1日 町制施行。
    2007年12月1日 - 川辺町・頴娃町と合併し南九州市となる。

    行政

    県の行政機関
    鹿児島県警察:知覧警察署

    国の行政機関
    鹿児島地方裁判所知覧支部
    鹿児島家庭裁判所知覧支部
    知覧簡易裁判所
    熊本国税局知覧税務署
    自衛隊鹿児島地方連絡部知覧分駐所(知覧町役場内)

    姉妹都市・提携都市

    国内
    平川市(旧平賀町)(青森県)
    2000年1月1日友好親善交流盟約

    経済

    産業
    農産
    知覧茶、知覧紅、コガネセンガン(黄金千貫)

    工業
    日亜化学工業株式会社 K工場 K-PLANT (知覧工場)
    (株)日本計器鹿児島製作所
    東京エンプラ商事鹿児島株式会社
    高槻電器工業株式会社 知覧事業所

    地域
    総人口 13,887 人
    男性人口 6,349 人
    女性人口 7,538 人
    年少人口 2,100 人
    生産年齢人口 7,609 人
    老齢人口 4,177 人
    総務省統計局「平成12年国勢調査」より

    教育

    高等学校
    鹿児島県立薩南工業高等学校

    中学校
    町立
    知覧中学校

    小学校
    町立
    手蓑小学校
    知覧小学校
    中福良小学校
    浮辺小学校
    霜出小学校
    松山小学校
    松ケ浦小学校

    電話番号
    市外局番は町内全域が「0993」。市内局番が「5X」~「8X」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(加世田MA)。収容局は知覧局、知覧瀬世局、知覧松山1局、知覧町塩屋局。


    郵便番号
    郵便番号は、塩屋・南別府を除く町内全域が「897-03xx」(知覧郵便局)、塩屋・南別府は「891-09xx」(頴娃郵便局)である。


    交通
    最寄り空港は枕崎飛行場だが、現在定期便がないため鹿児島空港が実質的な最寄空港である。

    鉄道路線
    九州旅客鉄道(JR九州)
    指宿枕崎線
    松ヶ浦駅 - 薩摩塩屋駅
    過去には鹿児島交通知覧線が通っていたが、1965年に廃止された。


    バス路線
    鹿児島交通

    道路

    有料道路
    指宿スカイライン
    知覧インターチェンジ

    一般国道
    国道226号

    主要地方道
    鹿児島県道23号谷山知覧線
    鹿児島県道27号頴娃川辺線
    鹿児島県道29号石垣加世田線
    鹿児島県道34号枕崎知覧線

    一般県道
    鹿児島県道232号知覧喜入線
    鹿児島県道262号霜出南別府線
    鹿児島県道263号霜出川辺線

    名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
    知覧特攻平和会館
    太平洋戦争で活躍した戦闘機や、陸軍沖縄戦で散華した1,036名の特攻隊員の遺影や遺書・手紙などの遺品が展示されている。また、平和会館に通ずる道には慰霊のための灯篭が建立されている(平成18年10月30日現在1,082基)。
    知覧城跡(国指定史跡)
    知覧ミュージアム
    知覧麓武家屋敷(重要伝統的建造物群保存地区)
    ほたる館
    小京都ふるさとまつり
    十五夜ソラヨイ
    ねぷた祭in知覧(青森県平川市(旧平賀町)との友好事業)

    知覧町出身の有名人
    鳥濱トメ:「特攻の母」とよばれている。
    佐藤博 (ミュージシャン)(知覧町生まれ)

    その他
    日本の道100選:武家屋敷通り
    人と自然が織りなす日本の風景百選:薩摩半島の「麓集落」
    映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』

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    南九州市

    南九州市(みなみきゅうしゅうし)は、鹿児島県薩摩半島の南部の市である。


    地理

    隣接している自治体
    鹿児島市
    枕崎市
    指宿市
    南さつま市

    歴史

    沿革
    1889年4月1日 - 町村制施行により、以下の町村が発足。
    給黎郡知覧村(旧知覧町)
    川辺郡川辺村、勝目村(旧川辺町)
    頴娃郡頴娃村(旧頴娃町)
    1896年3月29日 - 郡区画改正により、以下のようになる。
    給黎郡が川辺郡に編入、知覧町が川辺郡となる。
    頴娃郡が揖宿郡に編入、頴娃町が揖宿郡となる。
    1923年10月13日 - 川辺村が町制施行、川辺町となる。
    1932年4月1日 - 知覧村が町制施行、知覧町となる。
    1950年4月1日 - 川辺町本別府を勝目村に編入。
    同年8月1日 - 頴娃村が町制施行、頴娃町となる。
    1951年10月1日 - 頴娃町の一部を分立し、開聞村を新設。
    1956年9月1日 川辺町と勝目村が合併し川辺町となる。
    2007年12月1日 - 川辺町・知覧町・頴娃町が合併して南九州市が発足。これにより、川辺郡および揖宿郡は消滅した。

    行政
    南九州市役所(知覧支所):〒897-0392 南九州市知覧町郡6204番地
    総務部
    建設部
    議会事務局
    会計課(会計管理者)
    川辺支所:〒897-0215 南九州市川辺町平山3234番地
    市民福祉部
    教育部
    頴娃支所:〒891-0702 南九州市頴娃町牧之内2830番地
    農林水産部
    農業委員会
    南部出張所:〒891-0911 南九州市知覧町塩屋24500番地

    市長
    市長:霜出勘平(旧知覧町長)
    市長職務執行者(初代市長選出まで):山内廣行(旧頴娃町長)

    住所表記
    従来の郡名を「南九州市」に置き換えた上で、旧町名+旧大字名を新たな大字名とする。なお、「大字」の表記は付けない。

    南九州市知覧町○○
    南九州市川辺町○○
    南九州市頴娃町○○

    県の行政機関
    鹿児島県警察
    知覧警察署(市内の知覧地区・川辺地区を管轄)
    指宿警察署:(指宿市にあり、同市と市内の頴娃地区を管轄)

    教育

    小学校
    市立

    川辺小学校
    高田小学校
    神殿小学校
    清水小学校
    田代小学校
    勝目小学校
    大丸小学校
    手蓑小学校
    知覧小学校
    中福良小学校
    浮辺小学校
    霜出小学校
    松山小学校
    松ケ浦小学校
    頴娃小学校
    宮脇小学校
    粟ヶ窪小学校
    九玉小学校
    別府小学校
    松原小学校
    青戸小学校




    中学校
    市立

    川辺中学校
    知覧中学校
    頴娃中学校
    別府中学校
    青戸中学校

    高等学校
    鹿児島県立川辺高等学校
    鹿児島県立薩南工業高等学校
    鹿児島県立頴娃高等学校

    交通

    鉄道路線
    九州旅客鉄道(JR九州)
    指宿枕崎線
    頴娃駅 - 西頴娃駅 - 御領駅 - 石垣駅 - 水成川駅 - 頴娃大川駅 - 松ヶ浦駅 - 薩摩塩屋駅

    路線バス
    鹿児島交通

    長崎鼻

    長崎鼻(ながさきばな)は鹿児島県南部、薩摩半島の最南端にある岬。鹿児島県指宿市(旧山川町)に位置する。指宿カルデラの外輪山の一角を成しており、一帯は火山岩にて形成。

    「鼻」と付く地名は名の如く、岬の基部が末広がりになる三角形状の地形であることが多い。鼻と名の付く岬は全国の至る地方で見られるが(特に九州で多い)、その中で最も有名な岬である。

    長崎鼻からすぐ東方には、海越しに端整な山容で知られる開聞岳がそびえ、妨げる障害物は何もないため、岬から眺める山容は非常に美しい。また、晴天時だと岬の展望台から遠く屋久島の宮之浦岳や硫黄島を遠望する。このように非常に風光明媚な土地であることから古くから観光開発されており、岬の展望台から1~2kmの沿線に土産物屋や飲食店がびっしりと建ち並び、長崎鼻ガーデンパークという観光施設が設けられている。

    また、この長崎鼻一帯にも浦島太郎伝説が伝わっており、竜宮神社が鎮座する。

    岬及び周辺の海岸線一帯が霧島屋久国立公園の一角を成している。また、近辺に国の特別天然記念物であるソテツ自生地がある。

    双糖

    双糖(ちゅうざらとう)とは、蔗糖を結晶させたの砂糖の一種である。

    通称
    ザラメ(粗目)
    黄双目
    キザラ

    特徴
    製法は白双糖と同じであるが、製造工程や仕上げ時に、カラメルを混入したり表面に吹き付けたりしているため、粒の色はやや黄色みを帯びている。また三温糖と似た製法を用いることで、元から黄色味を帯びたザラメを作ることもできる。なお砂糖を精製する前の粗糖を原料としたものは赤ザラメという別の種類になる。


    成分
    中双糖は白双糖とほぼ同じ成分だが、カラメル成分を含むことによる風味があることから、綿菓子やカルメ焼きなどでは欠かすことができず、カステラなどの焼き菓子でも風味付けを兼ねて使われる。また醤油との相性も良いことから、煮物や佃煮などでも用いられる。

    知覧茶

    知覧茶(ちらんちゃ)は、日本有数の緑茶生産地である鹿児島県南九州市知覧町にて栽培されている緑茶の総称またはそのブランド。

    特徴
    透き通った若緑色とさわやかな香りが特徴で、近年では後述の通り農林水産大臣賞や全国茶品評会日本農業中央会長賞受賞をはじめ各種賞を度々受賞しており、全国的に高い評価を得ている。これらの特徴は、町をあげての茶の生産推進や生産農家の創意工夫に加え、茶の育成に有利な立地を生かして栽培された良質の茶葉による。全体として温暖で日照条件に恵まれ、桜島の火山灰により肥沃な南九州の地の利は茶の栽培に適しており、後岳地区、垂水地区、菊永地区を中心に町内の広範囲にわたって栽培が行われている。町内北部は山間であるため低コスト生産は難しいものの寒暖差を生かした上級茶生産が行われており、一方、中南部地区では大型機械化により効率化された生産が進められている。


    歴史
    知覧における茶の栽培の起源としては鎌倉時代に平家の落人が北部山間地の手蓑にて茶栽培を始めたという伝承がありこれを記念した碑が町内の手蓑峠につくられているが、本格的な栽培は明治元年に島津氏の傍流でこの地を治めていた佐多島津氏から払い下げられた山野を明治5年に村民が開墾したのが始まりである。その後設立された茶業組合を中心に技術者の招聘や宇治茶の製法習得、緑茶製造所の設置が進められ、上述の好条件もあって生産拡大が進んだ。

    大正9年からは製茶機械の据付け、摘採機の奨励、共同機械製茶所の設置などにより商品としての競争力が高められ、販売面においても長崎、福岡、朝鮮への出張や沖縄、名瀬での見本市開催などの営業努力により毎年約10万貫が出荷され、九州を中心に知覧茶の名声が広まっていった。

    昭和初期以降は村をあげての茶生産拡大が進められ、昭和3年には御大典記念事業で300町歩の新植茶園増加計画、同5年には県立知覧茶業分場創立や茶園5町歩採草地2町歩その他一切の設備の村負担による試験場誘致、同9年には県の奨励により紅茶工場を設置、同13年には天覧用の紅茶の製造・献上が行われた。

    以降紅茶の生産拡大を推進していたが、昭和40年代初めには貿易自由化により海外から紅茶の輸入が拡大し町内での紅茶生産は低迷。これを機に農家では緑茶生産への転換が進んだ。町が緑茶を基幹作物に指定したこともあり、現在では茶園面積1200haを超える国内有数の緑茶産地として名を馳ている。


    品質と評価
    茶の生産においては高い品質管理が行われており、例えば産地直売されている小売茶でさえも毎年3回、独自の規格統一審査を経て出荷されたものである。これら品質管理努力の成果もあり、昭和期以来、各種農業関連賞を度々受賞している。

    昭和43年 朝日農業賞受賞
    昭和53年 全国農業コンクール名誉賞受賞
    昭和55年 九州茶品評会農林水産大臣賞受賞
    昭和55年 朝日農業賞受賞
    昭和60年 九州茶品評会農林水産大臣賞受賞
    昭和61年 全国茶品評会日本農業中央会長賞受賞
    平成2年 全国茶品評会日本農業中央会長賞受賞
    平成7年 全国農業コンクール農林水産大臣賞受賞
    平成7年 農林水産祭内閣総理大臣賞受賞
    平成8年 農林水産祭農林水産大臣賞受賞
    平成8年 農林水産際日本農林漁業振興会長賞受賞
    平成9年 全国茶品評会全国茶生産団体連合会長賞受賞
    平成10年 全国茶品評会農林水産大臣賞受賞
    平成12年 全国茶品評会農産園芸局長賞受賞

    大隅半島

    大隅半島(おおすみはんとう)は、日本列島を構成する島、九州の半島のひとつ。九州の南端にあたる。

    行政区域としては鹿児島県のうち曽於地区と肝属地区を指すのが一般的であるが、鹿児島県の定義では桜島全域も属するとしている。また、上記に加え半島振興法の指定を受けている「大隅地域」としての宮崎県の一部も属する。大隈半島と記される場合も多いが、誤りである。


    大隅半島の位置。スペースシャトル標高データ使用。

    大隅半島のランドサット衛星写真。スペースシャトル標高データ使用。目次 [非表示]

    地理
    半島振興法の指定を受けている地域の面積は2,541平方キロメートル。総面積の65%が森林で占められている。

    薩摩半島とともに鹿児島湾(錦江湾)を囲み、東岸は太平洋(フィリピン海)に面する。南端は佐多岬で、国際海峡の大隅海峡をはさんで大隅諸島と対峙する。西岸には桜島が陸続きとなっている。また、東岸には、内之浦湾、志布志湾といった入り江がある。

    高隈山地が半島の北西を、肝属山地(国見山系)が半島の南東を、鰐塚山地が半島の北東をそれぞれ走り、中央部には肝属川の沖積平野とシラス台地の笠野原台地を中心とする肝属平野が広がる。


    人口
    2000年の国勢調査時で314,200人。1955年の466,128人から32.6%の減少となり、鹿屋市の一部と南郷町を除く市町が過疎地域に指定されている。


    産業
    農業、特に畜産が盛ん。大隅半島に隣接する宮崎県都城市とともに、日本国内の代表的な生産拠点のひとつとして機能している。

    商業は鹿屋市を中心とするが、鹿児島都市圏や都城都市圏への流出もみられる。


    行政区域
    以下に挙げている自治体は広義のもの。

    鹿児島県
    鹿児島市の一部(桜島)
    鹿屋市
    垂水市
    曽於市
    志布志市
    曽於郡大崎町
    肝属郡東串良町、肝付町、錦江町、南大隅町
    宮崎県
    串間市
    南那珂郡南郷町

    交通

    鉄道
    現在は志布志駅から日南線が宮崎市方面へ繋がるのみ。1987年3月までは志布志駅から大隅半島を横断し鹿児島湾沿いを北上する大隅線、志布志駅から都城方面へ向かう志布志線があった。


    バス
    鹿児島県内はいわさきグループの大隅交通ネットワークと三州自動車が各地に路線を開設しているが、2006年11月の不採算路線の大幅廃止などで縮小傾向にある。宮崎県内は宮崎交通が路線を開設している。


    船舶
    貨物運搬は中核国際港湾である志布志港が、旅客運搬は志布志港と垂水港、桜島港が中心となる。

    フェリー
    長距離路線として志布志港から大阪方面へさんふらわあ(ダイヤモンドフェリー)が運航している。また、県庁所在地である鹿児島市へは陸路では大回りとなることから、『鴨池・垂水フェリー』(大隅交通ネットワーク)が垂水港から、『桜島フェリー』(鹿児島市船舶部)が桜島港からそれぞれ運航している。

    道路
    高速道路
    高速自動車国道は東九州自動車道が新直轄方式により工事中。

    都城志布志道路
    志布志市と都城市を結ぶ路線。一部のみ開通。
    大隅縦貫道
    東九州道の鹿屋串良ICから南下する。工事中。
    一般国道
    国道220号
    志布志市から大隅半島を横断し鹿児島湾沿いを北上する。鹿屋バイパスに商業施設が集積している。
    国道224号
    桜島の南側を周回する。
    国道269号
    南大隅町から鹿屋市を経由し都城市へ北上する。
    国道448号
    錦江町を横断し志布志湾沿岸を周回する。
    国道504号
    鹿屋市 - 鹿児島空港間を最短距離で結ぶ。
    その他
    佐多岬ロードパーク

    大隅諸島

    大隅諸島(おおすみしょとう)は、南西諸島北部の島嶼群。

    鹿児島県に属し、種子島、屋久島、口永良部島などから成る。黒島、硫黄島、竹島の上三島については、大隅諸島に含まれるとする説と含まれないとする説がある。

    天気予報では「種子島・屋久島地方」という区分がよく使われる。この場合には、種子島、屋久島、口永良部島に加えて、黒島、硫黄島、竹島の上三島が含まれる。また、さらに「種子島地方」と「屋久島地方」とに細分する場合には、「種子島地方」には種子島及び上三島が含まれ、「屋久島地方」には屋久島、口永良部島が含まれる[1]。なお、天気予報における区分では、従来、「南西諸島」に「種子島・屋久島地方」を含める場合と含めない場合があったが、2007年4月1日の予報用語の改正に伴い、「南西諸島」は「種子島・屋久島地方」を含む場合のみに用いることとされた[2]。

    ショウガ

    ショウガ(生姜、生薑、学名 Zingiber officinale)はショウガ科の多年草。熱帯アジア原産。根茎(肥大した地下茎)を香辛料、生薬として用いる。分類表はクロンキスト体系に従った。

    日本では「古事記」に記載があるように古くから用いられていた。古くは「はじかみ」と呼ばれたが、サンショウも同じく「はじかみ」と呼ばれ、サンショウとの区別では「ふさはじかみ」「くれのはじかみ」と呼ばれた。

    植物としてのショウガ
    地下に根茎があり、地上には葉だけが出る。葉はまっすぐに立った茎から両側に楕円形の葉を互生したように見えるが、この茎はいわゆる偽茎で、各々の葉の葉柄が折り重なるように巻いたものである。

    花は根茎から別の茎としてでて、地上に鱗片の重なった姿を見せる。花はその間から抜け出て開き、黄色く、唇弁は赤紫に黄色の斑点を持つ。


    品種
    葉しょうがの一品種は、谷中生姜として知られている。これは、東京都台東区の地名、谷中に因んだもので、この種の生姜がかつて特産品であったことによる。


    食用

    香辛料

    堀上げたばかりのショウガショウガは香辛料としての使われ方が多い。日本料理ではすりおろして醤油と合わせて生姜醤油とするか、千切りにするか、刻んで振りかける使い方が多い。冷や奴、素麺、アジの寿司やたたきなどに生姜は欠かせない薬味とされている。地方限定の習慣の例では姫路市ではおでんを生姜醤油で、青森市では生姜味噌で食べる習慣がある。そのほか、カレー、酸辣湯などの料理にさわやかな辛味をつけるのに用いられる。

    日本料理、中華料理では魚や肉料理の臭い消しとしても多用される。煮物、炒め物、スープに薄切りしたものを加える事が多い。

    生姜飴、生姜糖、葛湯、冷やし飴(飴湯)、ジンジャーエール、生姜茶(センガンチャ)などの材料として、甘い味と合わせて用いる事も多い。

    欧米ではジンジャー・クッキー、ジンジャーブレッドなどの焼き菓子にも用いられる。


    食材
    ショウガの根を食べるものとして、酢、塩、砂糖で調味したショウガの甘酢漬けや梅酢で漬けた紅しょうががある。甘酢漬けは寿司と共に出される(符牒ではガリ)。紅しょうがは、細かく刻んで焼きそば、たこ焼きなどに加えたり、ちらし寿司、牛丼などに添えられるられる他、関西の一部地域では薄く切って天ぷらの定番食材として用いられている。

    ショウガの芽を湯通しして甘酢に漬けたものを、はじかみあるいははじかみ生姜という。焼き魚等に彩りとして添えられる。2006年現在、「はじかみ」の名称はもっぱらこれにあたる。

    また、根を砂糖を加えて煮てから、砂糖をまぶした砂糖漬けも作られる。


    凝固剤
    絞り汁に含まれる酵素のタンパク質凝固作用を利用する使い方がある。中国広東省広州市の沙湾鎮では、水牛乳または牛乳を約70℃に温め、砂糖で甘みを付けた中に絞り汁を加え、軟らかいプリン状に固めたデザート「薑撞牛奶」(広東語 キョンジョンアウナーイ)が名物として作られている。現在は香港、マカオ等にも広まり、甘味処などで食べる事ができる。沙湾の近隣の仏山市順徳区では、牛乳プリンの風味付けに加えることも行われているが、この場合は凝固剤として入れるのではない。


    生薬
    根茎は漢方薬として生姜(しょうきょう)と呼ばれ、発散作用、健胃作用、鎮吐作用があるとされる。 発散作用は主に発汗により寒気を伴う風邪の初期症状の治療に使われ、健胃止嘔作用は胃腸の冷えなどによる胃腸機能低下などに使われることが多い。辛温の性質を持つため、中医学で言われる熱証には用いない。

    大棗との組み合わせで他の生薬の副作用をやわらげる働きがあるとされ、多数の方剤に配合されている。

    表面の皮を取り去り、蒸して乾燥させたものは乾姜(かんきょう)または乾生姜(かんしょうきょう)と呼ばれる。興奮作用、強壮作用、健胃作用があるとされる。生姜よりも熱性が強い辛熱の性質があるとされるので胃腸の冷えによる機能障害では乾姜を使う場合が多い。

    日本薬局方においては、単に根茎を生姜(しょうきょう)とし、乾姜(乾生姜)と区別していない。しかし、生姜と乾姜を使い分け、生姜をショウガの生の根茎の意味とする場合もある。

    ショウガを加えた葛湯は、身体を温めて、免疫力を高めるため、風邪の民間療法によく用いられる。

    蒸気機関車

    蒸気機関車(じょうききかんしゃ)とは、蒸気機関によって動く機関車のことである。日本では Steam Locomotive の頭文字をとってSL(エスエル)とも呼ばれる。


    シロクニの愛称で親しまれるC62
    ペリー提督が幕府に献上した蒸気車、瓦版蒸気機関車、または蒸気機関車が牽引する列車のことを汽車とも言う。ただし、地域や世代によっては、電気で動く物も含めて全ての列車のことを「汽車」と呼んだり、国鉄・JRを「汽車」、路面電車や私鉄を「電車」と呼んで区別したりする場合がある(このような「汽車」の用法については「汽車」を参照のこと)。また、明治時代には蒸気船に対して陸の上を蒸気機関で走ることから、「陸蒸気」(おかじょうき)とも呼んでいた。

    目次 [非表示]
    1 蒸気機関車の分類
    1.1 駆動方式による分類
    1.2 動力伝達方式での分類
    1.3 エネルギー源による分類
    1.4 ボイラーによる分類
    1.5 火室による分類
    1.6 弁装置による分類
    1.7 気筒数による分類
    1.8 使用済み蒸気による分類
    1.9 車輪配置による分類
    1.10 車体構成による分類
    1.11 関節式機関車
    2 特徴
    2.1 長所
    2.2 短所
    3 日本での歴史
    4 稼動している蒸気機関車
    5 海外の歴史
    5.1 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物
    6 代表的な形式
    6.1 日本の国有鉄道・JR
    6.2 東武鉄道
    6.3 イギリス
    6.4 ドイツ
    6.5 フランス
    6.6 アメリカ合衆国
    7 関連項目
    7.1 蒸気機関車の形式・車両
    7.2 蒸気機関車の機構
    7.3 蒸気機関車に関係する文化
    8 外部リンク



    [編集] 蒸気機関車の分類

    [編集] 駆動方式による分類
    ピストン式
    蒸気の圧力をシリンダーに導きピストンを作動させることで往復運動に変換し、その往復運動で動輪を駆動する方式で、広く普及した。
    タービン式
    蒸気の圧力を蒸気タービンに導き、回転運動に直接変換する方式である。タービンで発生した回転運動はギアやロッドにより間接的に動輪に伝達される。
    発電式
    車上のボイラーで発生させた蒸気を、蒸気タービンや多気筒式蒸気エンジンに導き電力を発生させ、電気モーターにより駆動する方式である。アメリカなどに存在したが、試作段階にとどまった。一見するとディーゼル機関車のようで、とうてい蒸気機関車には見えないものが存在する。

    [編集] 動力伝達方式での分類

    ロッド式駆動ロッド式
    ピストンの往復運動をロッドで直接的に動輪に伝達する方式。シリンダーとメインロッドと動輪そのものがレシプロエンジンを構成するが、通常はレシプロと言う用語を用いない。ほとんどの蒸気機関車がこの方式を採用している。
    歯車式
    ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動を歯車により間接的に動輪に伝達する方式、もしくはピストンの往復運動をクランクシャフトで回転運動に変え、シャフトとギアで動輪に伝達する方式。詳しくはギアードロコの項を参照。
    チェーン式
    ピストンの往復運動を回転運動に変換し、その回転運動をチェーンにより間接的に動輪に伝達する方式。自転車と似た原理である。ロッドを動輪に接続する必要が無いため構造が簡便であるが、信頼性やチェーンの耐久性が低く普及しなかった。後述するバヴァリア号や、アメリカの森林鉄道でハンドメイドされた一部の車両がこの方式を採用している。
    摩擦式

    D7形451号機「ファゾルト」動輪を上下2段に付け、上段の動輪をシリンダーで駆動し、下段の無動力の車輪を摩擦により間接的に駆動する方式。歯車比の理論を当てはめて考案されたもので、速度を上げる場合は上段を大きく、下段を小さくし、牽引力を上げる場合には上段を小さく、下段を大きくするという物であるが、実際には成果を上げず摩擦機構の問題も多かったため実用化しなかった。主な形式は1876年ドイツのエルザス・ロートリンゲン鉄道向けに製造されたものであり、D7形451号「ファゾルト」という形式を与えられ1906年まで在籍していた。上段と下段の車輪径の比率は1:3で、牽引力を重視したため最高時速はわずか時速10kmだった。後に似た方式をアメリカのホールマンとユージーン・フォンテインがそれぞれ考案している。

    [編集] エネルギー源による分類
    化学燃料(有機燃料)
    石炭やコークス、重油などの化石燃料、その他薪やガスなどの炭素資源を燃焼させることにより熱エネルギーを発生させ、これによりボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得る方式である。蒸気機関車の殆んどがこの方式で、燃料には主に石炭、コークスが用いられる。旧国鉄の制式機では蒸気機関車時代の後期に補助重油タンクを装備し、勾配区間などパワーが必要な際に重油を投入したほか、C59の127号機が重油のみを燃料とする重油専燃機であったことで知られている。海外では重油専燃機がある程度普及した。タイなどの東南アジア各国では薪が多く使われた。変わった例としては、東南アジアの製糖工場で、砂糖の原料となるサトウキビの絞りかす(バガス)を機関車の燃料として用いた例が多くある。
    圧力の外部供給
    ボイラーを有さず、外部から熱水とともに高圧蒸気を供給し、それをタンク内に蓄圧してピストンを駆動する方式を無火機関車と言う。一般的に蓄圧に2~3時間以上を要するにもかかわらず、その走行可能距離は著しく短いが、火を使わず煤煙なども一切出さないため、火気厳禁の産業施設などで使用された。また、高圧蒸気と熱水の代わりに圧搾空気を用いた圧搾空気機関車や、走行可能な距離が短いという欠点を改善するために、アンモニアや苛性ソーダなどの化学薬品を使用する車両も製作された。日本では無火機関車が1963年まで八幡製鐵構内で数多く使われていた他、浜川崎から分岐するシェル石油(現・昭和シェル石油)の精油所引き込み線で1960年代まで使用されていたことが知られている。海外では観光用としての活動も伝えられており(ドイツのマンハイムの産業博物館など)、現在も南米などで商業用として稼動している可能性がある。
    電力
    架線から運転台天井部に取り付けたパンタグラフで集電し、その電気エネルギーでボイラー内の水を沸騰させて蒸気を得るという機関車がスイスに存在した。これはSBB(スイス国鉄)のE3/3形と呼ばれる軸配置0-6-0の入れ替え用タンク機関車であり、第二次世界大戦中の石炭の入手難に対応すべく2両が試作されたものである。この形式の場合、電気を動力源(熱源)としているが、電動機や電磁石など、電気のみによって駆動力を得ているわけではなく、電力はあくまで熱源としてボイラーの加熱にのみ用いられ、最終的には蒸気で動輪を駆動するため、電気機関車ではなく蒸気機関車に分類される。
    原子力
    搭載した原子炉で蒸気を発生させ、蒸気タービンで発電しモーターを駆動する方式で、発電式機関車の一種である。主に1950年代と1970年代に計画されたが、重量が極端に大きくなる、放射能漏れの危険性があるなどの問題により、実現した例は無かった。
    アメリカ
    GE製のガスタービン機関車を改造する予定であった。
    旧ソ連
    TE-3型ディーゼル機関車を改造する予定であり、1970年代には超広軌の巨大な機関車が計画された。
    旧西ドイツ
    V200型ディーゼル機関車を2両連結に改造する予定であった。
    日本
    昭和30年代に国鉄技術研究所により、AH101という形式が計画された。(形式のAはAtomicの略であると思われる。)
    ハイブリッド
    蒸気機関とディーゼル機関を両方搭載した、ハイブリッド方式の機関車が試作された。1926年にイギリスのキトソン社がスティル社のディーゼルエンジンを使用してLNER鉄道向けに試作機が製造され、1934年まで試験が行われたが、ボイラーなどに問題が多く実用化しなかった。

    [編集] ボイラーによる分類
    飽和式
    ボイラーで発生させた蒸気(飽和蒸気)を直接シリンダーへ導く方式。蒸気の膨張により温度が下がると水滴が凝結した。蒸気の持つエネルギーが少なく、効率もよくない。
    過熱式
    ボイラーで発生させた蒸気を細いパイプ(過熱管)で煙管内に導き、再過熱する方式。蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。理論上での提案はされていたが、高温の蒸気を使用するため、シリンダー潤滑油が改良されるまで実用化できなかった。

    [編集] 火室による分類
    狭火室
    火室の幅が線路の幅より狭く、古典機や小型機に見られた。特に狭軌でしかも使用炭の品質も一般に良好とは言い難かった日本では十分な火格子面積=火力が確保出来ず、高出力化の障害となった。
    広火室
    火室の幅が線路の幅より広く、近代の大型機では一般的な方式である。広い火格子面積を確保出来るため、蒸気機関車の出力向上に大きく貢献した。小車輪径の貨物型では動輪の上に広火室を配置するものもあったが、大きな動輪を持つ高速用機関車では動輪の後ろに広火室を配置することになるため、狭火室よりも全長が長くなる。その為、小型機やタンク機では最後まで動輪の内側に配置出来る狭火室を採用するものも多かった。
    燃焼室の設置
    蒸気機関車の燃料として最も望ましい瀝青炭の燃焼時の炎は長く、火室内では収まりきらないので、ボイラー前方に副室を設けこれを燃焼室と呼んだ。燃焼室を設けることにより高温の炎からの輻射熱を十分に吸収でき、効率が向上した。また、燃焼時間が長くなったことにより煤煙の発生が減少し、煙管の詰まりも防がれた。日本の国鉄では8200形製造時に導入のチャンスがあり、またメーカー側も推奨していたにもかかわらず、ドイツ流の長煙管設計に固執したため採用が著しく遅れ、戦時設計で極限性能発揮が求められたD52形でようやく採用された。外見から燃焼室の有無を知るには火室の前方にも洗口栓があるかどうかを調べればよい。
    特殊な火室
    ベルペヤ火室
    ベルギーの鉄道技術者、A・ベルペヤが考案した火室形状で、内火室と外火室の形状を相似形にしているため、内火室を支えるステイの形状を単純にでき、缶水の循環が良く水垢の付着が少ないという利点を持つ。上部が角張った形状が特徴であるが、円筒形の煙管部との接合工作が難しいという欠点がある。
    ウーテン火室
    広火室の一種で、外見上は下部が大きく広がっているのが特徴である。質の悪い石炭を燃焼させるためのもので、日本では日本鉄道が質の悪い常磐炭を使用するために、一部の形式で採用した。

    [編集] 弁装置による分類

    ワルシャート式弁装置の動作機構アニメーション。赤色は吸気を、青色は排気を表す。
    日本の国有鉄道に在籍した蒸気機関車の弁装置の種類は次のとおりであった。

    スティーブンソン式(基本形、ハウ形、アメリカ形) - 初期の蒸気機関車の標準型として広く用いられた。弁室は、基本形ではシリンダの内側に置かれるが、アメリカ形では上部に置かれる。
    アラン式(トリック式)
    ジョイ式(基本形、ウェッブ形)
    ベーカー式(深川形)
    宇佐美式
    マーシャル式(ヴィンターツール形、コッペル形)
    グレズリー式 - 3シリンダ式機関車の中央シリンダ用に使用される方式で、左右の弁装置の動きを合成することで、中央シリンダの弁装置を作動させる。
    ワルシャート式(ヘルムホルツ形、ホイジンガー形) - 近代の大型蒸気機関車の殆んどがこの方式で、動作機構が全て動輪の外側にあるため、整備性が良い。

    [編集] 気筒数による分類
    1気筒(単気筒)
    蒸気機関車の黎明期に存在した。また、1857年、ニールソンが1気筒の小型機を製造し、多くがスコットランドの炭鉱や製鉄所で使用された。
    2気筒
    ごく一般的な方式である。2組の気筒(シリンダ)があるため、より円滑な動作が可能である。ロッドが死点に位置して、起動不能となるのを防ぐため、左右の位相は90°ずらされている。日本の国有鉄道においては右側先行が原則であったが、9600形など左側先行の例外も少数ながら存在した。
    ギアードロコではV形配置のものも見られる。
    3気筒・4気筒
    国鉄ではC52・C53が3気筒である。構造が複雑で整備性が悪く、特に狭軌の日本では運用に労が多くC53以降は採用されなかったが、メインロッドを3本とすることで死点をそれぞれ120゜ずらし、ハンマー・ブロー現象を抑えることができる利点があり、さらに複式とすることで蒸気を有効に利用出来るため、欧州などでは普及した。日本のC53は停車時のロッドの位置によっては発車不能になることがあり、問題視された。
    碓氷峠で使用されたアプト式機関車は、動輪用の駆動装置の他に歯車用の駆動装置を別に備えており、4気筒式であった。
    ギアードロコでは、ボイラー脇にシリンダーを垂直に並べた、インライン(直列)配置が一般的。

    [編集] 使用済み蒸気による分類
    単式
    ボイラーで発生させた蒸気を一度だけ使用するのが単式で、ごく一般的な方式である。
    複式(2段膨張式)
    単式に対して、一度使用した蒸気を、もう一度別のシリンダに送り込んで再使用するのが複式である。一度使用した蒸気は圧力が下がるので、1次側(高圧)のシリンダより2次側(低圧)のシリンダの方が径が大きくなる。スイス人のアナトール・マレー(Anatole Mallet)が1874年に特許を取得し、1876年に実用化に成功した。
    複式には種々の方式があり、左右のシリンダをそれぞれ高圧・低圧とした2シリンダ式、左右のシリンダそれぞれに高圧・低圧のシリンダを装備した4シリンダ式、高圧・低圧の2組の走り装置を有するマレー式(後述)などがある。日本においては、山陽鉄道が4シリンダ複式(ボークレイン複式)を積極的に導入したほか、明治時代末期に国有鉄道がマレー式を一時大量輸入した程度で、他にはほとんど普及しなかったが、1893年に官設鉄道神戸工場で製作された国産第1号機関車(860形)が2シリンダ複式(ワースデル複式)であったのは特筆される。
    復水式
    シリンダーで使用した蒸気を回収し、コンデンサー(凝縮器)で水に戻して再利用する方式。水の便の悪い地域で用いられる。

    [編集] 車輪配置による分類
    詳細は車輪配置を参照

    蒸気機関車にとって、動輪と従輪の配置は非常に重要な要素である。これによって、機関車の用途が決まってしまうといっても過言ではない。動輪径を大きくすれば同一回転速度で運転速度を高くできるが、機関車全体が一定の長さに収まるようにするには、動軸数を減らすことになり、牽引力が低下する。そのため、高速が要求される旅客列車牽引向けということになる。逆に動輪数を増やせば牽引力は増すが、その分動輪径は小さくせざるを得なくなり、速度性能が犠牲になることになるため、貨物列車牽引や急勾配区間向けということになる。

    従輪については、機関車重量の一部を負担するばかりでなく、先従輪には曲線通過時に、動輪をスムーズに導く機能があり、高速を要求される旅客用機関車では、2軸としたボギー台車が装備されることが多い。一方で、貨物用機関車では動輪上重量を増して粘着力を高めるため従輪の数は少なく、高速も要求されないため、より簡便な構造の1軸先台車が採用されることが多い。


    [編集] 車体構成による分類
    タンク式
    石炭及び水を機関車本体に搭載する方式、主に小型機が多いが、4100形、4110形、E10形など急勾配線専用の大型機にも採用例がある。小回りが利くなど長所があるが、長距離走行ができないなどの、短所がある。
    テンダー式
    石炭や水をテンダー(炭水車)に積載し、機関車本体に牽引させる方式。通常、機関車本体と炭水車を分離して運用することはないが、検査時は切り離しが可能である。長距離走行ができるなど、長所があるが、バック走行や、小回りが利かないなどの短所がある。
    キャブ・フォワード型

    プロイセン州立鉄道S5形テンダー式機関車のうち、機関車本体の前後を逆にしたもの。キャブ(運転室)を最前部に設けることにより機関士は煙害から免れることが出来、また良好な前方視界を得た。ドイツや、アメリカのカリフォルニア州の山岳地帯のトンネルが多い線区で使用された。
    キャメルバック型(キャブ・ミドルワード型)
    テンダー式機関車のうち、機関車の中央に運転台が位置しているもの。詳細はキャメルバック式蒸気機関車の項を参照。

    [編集] 関節式機関車
    1両の機関車に2両分以上の走り装置を装備し、出力強化や曲線通過の容易化を図ったもの。

    マレー式

    アメリカのUSRA標準型マレーボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車はボイラーに固定されていて、高圧蒸気の供給を受けてシリンダーを駆動し、その排気を左右に首を振れる前部動力台車に送って径の大きな低圧シリンダーを再度駆動する複式機関車である。大型機が急曲線を通れるようにし、効率も上昇させることができる方式である。なお、出発時はインターセプト・バルブと呼ばれる弁を操作することで前部台車にも高圧蒸気を供給する。複式機関車の実用化に成功したアナトール・マレーが考案し1884年に特許を取得した。最初の機関車は1887年にベルギーで製造され、1889年のパリ万国博覧会に出品された0-4+4-0形機である。
    構造が複雑で取り扱いが煩雑であり、高速性能では通常型機関車に見劣りするが、機構上空転発生が抑止されるという大きなメリットがある。日本では9750形・9800形・9850形(いずれも0-6+6-0)が存在したが、短命であった。狭義の「マレー」はマレー式機関車の中でも0-6+6-0の動輪配置のもののみを指す。日本では0-4+4-0配置としてタンク式の4500形や4510形、あるいはテンダー式の9020形が存在したが、この内9020形はマレーに満たないと言う意味で「ベビーマレー」と呼んだ。実際には製造されなかったが、旧ソ連では2-4-4-2+2-8-8-2+2-4-4-2という超大型のマレーが5フィートゲージ用に計画され、6000馬力を発揮する予定であった。このマレーはフランコ・クロスティ式という特殊なボイラーを採用していた。
    単式膨張型関節式(単式マレー式)

    ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車(4014号機)日本にはない形式で、simple expansion articulated engine の訳語である。本来のマレー式は複式であるがこれは前部・後部のシリンダーが同径で、同じ圧力の高圧蒸気が供給される単式となっている。1910年代後半になって、関節式機関車の設計・製造・保守において問題となる自在継手式蒸気管の蒸気漏れの問題がある程度解消され、マレー式では低圧蒸気が供給されていた前部シリンダーへ後部シリンダーと同じ高圧蒸気が常時供給可能となったことで実現を見た。アメリカのペンシルバニア鉄道で1919年に開発され、以後、アメリカで製造されたビッグボーイなどの超大型関節機関車はすべてこの方式を採用している。厳密にはこれらをマレー式と呼ぶのは誤りであるが、便宜上「単式マレー式」(Simple Mallet)と称されることがある。これらはほとんどが2組の走り装置を持つものであるが、中には炭水車を含め3組の走り装置を持つものもエリー鉄道向けなど、わずかながら存在した。また、実際には製造されなかったが、4組、5組の走り装置を持つものも計画された。
    なお、アメリカで最後までディーゼル化の波に抗し続けたノーフォーク&ウェスタン鉄道は、1950年代に入ってからも蒸気機関車の改良を続け、マレー式についてはトルクの必要な低速度域では単式、時速25km/h以上では複式、とそれぞれの特性を最大限生かして高性能を実現する機構を自社で独自開発し、実に1958年まで新造と在来車の改造により、この機構をマレー式の各形式に導入していた。
    ガーラット式

    旧ソ連のYa-01形2組の走り装置を別々の車体に設け、その両車の間に跨ってボイラーを搭載した主台枠が首振り構造で載る方式。イギリスのハーバート・ウィリアム・ガーラット(Herbert William Garratt)により、列車砲をヒントとして1907年に考案され、ベイヤー・ピーコック社の協力で実用化された。大型機に多く見られたが、その最初の適用例となったタスマニア島政府鉄道K1形は610mm軌間の4+4配置であり、小型機にもこのタイプのものが少なからず存在した。走り装置上に水タンクが搭載され、その空積に関わらず常に死重となる炭水車が基本的に不要(しかも特に軸重制限の厳しい線区への入線時には、走り装置上の水タンクを空にして別途炭水車を連結することで軸重を標準より軽くすることも可能であった)、燃料・水の積載量が多く長距離を走行できる、ボイラー下が空間となるため、缶胴部や火室設計の自由度が高い、急曲線や勾配に強く高速化もマレー式以上に容易、車輪数が多くすることで1軸あたりの軸重を相対的に軽くでき、それでいて容易に牽引力の強化が可能となる、など様々な利点があり、インド、南アフリカなど英連邦所属の各国で多く採用された。もっとも、その勃興期が第一次世界大戦後であったため、日本では採用されなかった。計画だけに終わったが、ガーラット式の足回りをマレー式相当とする、ガーラット・マレー式機関車も提案されていた。なお、ガーラットは「ガラット」や「ギャラット」などと表記されることもある。
    フェアリー式

    ザクセン州立鉄道IIK形二つのボイラーを背中合わせに繋ぎ、その下に2組の走り装置を設けた方式。イギリスのロバート・F・フェアリー(Robert F.Fairlie)により1863年に考案され、イギリスやその影響下にあった国の軽便鉄道で使用された。2台の通常型タンク機関車を背中合わせに連結した形をしており、後述する双合式と似ている。急カーブに強い上、方向転換の必要が無いという利点があったが、ボイラーが運転台の中央を通っているため運転上不便であるという大きな欠点があったため、他の間接式に比べると普及しなかった。日本では鉄道連隊によりアメリカ製の1両のみ使用された。
    メイヤー式

    ザクセン州立鉄道IVK形マレー式と同じくボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式。後部動力台車がボイラーに固定されておらず、前後の動力台車がそれぞれ完全に独立しており、シリンダーが中央に寄っているのがマレー式と異なる点である。フランスのジーン・ジャック・メイヤーにより。1861年に考案され、主にヨーロッパの地方鉄道で使用されていた。1894年にイギリスのキトソン社により改良されキトソン・メイヤー式となる。こちらは南米やアフリカで使用されたが、地味な存在のまま終わった。また、バグナル社により改良された形式も存在した。
    マッファイ式

    バヴァリア号ドイツのマッファイ社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したバヴァリア号に採用された。軸配置は4-4-6で全ての車輪が同径、前方の台車はシリンダーにより駆動され、そこから後部の台車へチェーンで動力を伝達する。チェーンは緩みがあるのでカーブに対応できるという理由で「コンテストで最も優れている」と賞を獲得したが、後に信頼性やチェーンの耐久性が低いことが明らかになり、実用化には至らなかった。
    ヴィーナー・ノイシュタット式

    ノイシュタット号ドイツのヴィーナー・ノイシュタット社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したノイシュタット号に採用された。ボイラーの下に2組の走り装置を設けた方式で、後のメイヤー式の原型となる。車輪の間に火室が出っ張っており台車の動きが制限されるのが欠点で、さらにヴィーナー・ノイシュタット社は間接式機関車用の特殊な部品を製作するのが初めてであったため、粗悪な部品が出来上がってしまい、これが問題視されて実用化に至らなかった。
    コッケリル式

    ゼライング号ベルギーのコッケリル社により、1851年のゼメリング・コンテストのために考案された方式。同社が製作したゼライング号に採用された。二つのボイラーを背中合わせに繋いだ構造で、後のフェアリー式の原型となる。その後似た方式がヨーロッパで何度か考案されたが、タンクを乗せるスペースが無いのが欠点であり実用化に至らなかった。
    ドゥ・ブスケ式
    フランスの北部鉄道(NORD)のみで使用された。
    ゴルウェ式
    アフリカで使用された。
    双合式(ツヴァイリングロクス)
    二両の通常型タンク式蒸気機関車を背中合わせに連結した形式。転車台の設置が困難で、軸重制限が厳しく、かつ一定の牽引力が要求される野戦軽便鉄道用としてドイツで考案された。ドイツ陸軍の影響下にあった日本陸軍も導入し、鉄道連隊にはA/B形と呼ばれる双合式機関車が400両あまり在籍していた。




    [編集] 特徴

    [編集] 長所
    多種の燃料が使える(高熱量のものが望ましいが、およそ可燃物なら何でも 石炭以外には重油、薪、草などの例がある)
    物理的に重量を抑える必要がある場合、電気機関車やディーゼル機関車より軽量化できる(ただし、牽引力は劣る)。
    耐用寿命が長い。通常約30年程度、それ以降の運転は大規模な修繕や部品交換が必要とされるが、電気機関車やディーゼル機関車に比べて、延命が容易。(インドのダージリン・ヒマラヤ鉄道で使用されるイギリス製の蒸気機関車は最古のもので110年にわたり使用されている。)
    発電所が破壊されても線路が無事なら走行できる。(弾丸列車はその観点から非電化の計画だった。)

    [編集] 短所
    機構が簡単だが調整が難しく、雑な調整ではうまく走れない(したがって修理作業に熟練を要する)。
    ただし、これに対して電気機関車が有利となるのは、VVVFインバータ制御が主流になってからと言える。
    電気機関車やディーゼル機関車より燃費効率が悪く、牽引力も弱い
    蒸気機関車の熱効率は10%程度といわれ、ディーゼル機関車の熱効率35%程度に比べてかなり劣る。
    始動に時間がかかる。ボイラーの火入れ、蒸気の発生と数時間前から作業開始する必要がある。また走行終了後も石炭ガラの廃棄など作用が必要。
    運転には、走行操作をする機関士と、ボイラーに水や石炭を送る操作をする機関助士の2人が必要となるため、2倍の人員を必要とする(電気機関車やディーゼル機関車の場合1人で運転可能)
    高温を発するボイラーを稼動させるために、運転士(機関士、機関助士)が過酷な労働を強いられる(とりわけ夏季の高温環境における石炭投入などの肉体労働の負担、冬季の寒気や雪の進入による肉体的負担)
    性能が条件により変化し、一定しない(燃料の発熱量、タンク機関車の場合は燃料と水の残量も影響する)
    有害な煤煙・ガスを排出(運転士、乗客、沿線住民いずれにとっても深刻な問題となった)し、大気汚染や酸性雨をもたらしたり、石炭は化石燃料なのでこれが燃焼することで地球温暖化の問題に繋がっている。
    煙の火の粉により、時として火災を発生させる(藁葺きや木の屋根が普通であった時代には多発した)
    保守に手がかかる
    摩耗部分が多い
    ボイラー部などの熱・高圧疲労・耐用年数による老朽化
    水垢の蓄積
    国鉄の蒸気機関車全廃による機構部品の生産終了
    稼動の多い付属品では交換が多く部品が不足(コンプレッサー、給水ポンプなど)
    燃料と水を補給する必要があり、大型機では約100kmごとに補給が必要。そのため、駅や機関区などに水、石炭などの補給や、使用済みの石炭ガラ処理用の大型設備が必要となる。
    設計上逆向き運転が考慮されておらず、転車台・デルタ線・袋状の小さな環状線など方向転換のための設備を必要とする(後年にはC11やC56など逆向き運転が容易な形式も出現した)
    電気機関車・ディーゼル機関車は当初性能面における信頼性が低く、そのため蒸気機関車が日本では昭和後期まで使用されていたが、以上のように欠点が多いため、国鉄は「動力近代化計画」として1959年(昭和34年)より蒸気機関車を15年間で全廃する計画を立て、予定より2年遅れたが1976年(昭和51年)には完了させた。


    [編集] 日本での歴史
    日本の蒸気機関車史
    国産の国鉄蒸気機関車
    軽便鉄道・産業鉄道
    鉄道省、そして規模の大きな私鉄向けの蒸気機関車は規格化・国産化された。しかし資本力の小さな鉄道向けの小型蒸気機関車までは国は関与しなかった。軽便鉄道、産業鉄道に向けては主にドイツ、コッペル社の小型蒸気機関車が廉価で高品質であったこともあり、第一次世界大戦までは大量に輸入され続けた。
    その後は日本車輌製造、雨宮製作所、あるいは深川造船所などのメーカーによって国産化が進み、第二次世界大戦期には立山重工業などの手による規格化設計機関車の量産も実施された。
    軍用鉄道
    鉄道連隊演習線

    [編集] 稼動している蒸気機関車
    ダージリン・ヒマラヤ鉄道、ニルギリ山岳鉄道(世界遺産「インドの山岳鉄道群」を構成している。)
    (日本国内で)動態保存中の蒸気機関車

    [編集] 海外の歴史
    イギリスの鉄道
    ドイツの鉄道
    アメリカ合衆国の鉄道
    フランスの鉄道
    ロシアの鉄道

    [編集] 蒸気機関車の発明・開発に関わった主要な人物
    リチャード・トレビシック
    1804年にイギリスで蒸気機関車を走行させる。鉄道史上初とされている。
    ジョージ・スチーブンソン
    公共鉄道で走行する最初の蒸気機関車「ロコモーション号」を制作。さらに「ロケット号」で蒸気機関車の基本設計を確立した。
    ロバート・スチーブンソン
    ジョージ・スチーブンソンの息子。父とともに蒸気機関車の実用運転に貢献。
    マーク・イザムバード・ブルネル
    シールド工法でロンドンの地下鉄を建設した。
    イザムバード・キングダム・ブルネル
    広軌のグレートウエスタン鉄道を建設した。
    マシュー・マレー
    1812年、軌条の側面がラックレールの軌道を走る機関車サラマンカ号を走らせた

    [編集] 代表的な形式

    [編集] 日本の国有鉄道・JR
    国鉄・JRの車両形式の一覧#蒸気機関車を参照せよ。


    [編集] 東武鉄道
    A2
    B1・B4
    B2
    B3・B7
    B5・B6
    C1・C3・C4
    C2
    C11

    [編集] イギリス
    グレート・ウェスタン鉄道1000型蒸気機関車(カウンティ型)
    グレート・ウェスタン鉄道2900型蒸気機関車(セイント型)
    グレート・ウェスタン鉄道3252型蒸気機関車(デューク型)
    グレート・ウェスタン鉄道3300型蒸気機関車(ブルドッグ型)
    グレート・ウェスタン鉄道3700型蒸気機関車(シティ型)
    グレート・ウェスタン鉄道4000型蒸気機関車(スター型)
    グレート・ウェスタン鉄道4073型蒸気機関車(キャッスル型)
    グレート・ウェスタン鉄道4120型蒸気機関車(アタバラ型)
    グレート・ウェスタン鉄道4300型蒸気機関車
    グレート・ウェスタン鉄道4900型蒸気機関車(ホール型)
    グレート・ウェスタン鉄道6000型蒸気機関車(キング型)
    グレート・ウェスタン鉄道6959型蒸気機関車(ホール改型)
    LNERクラスA1/A3蒸気機関車
    サザン鉄道V型蒸気機関車(スクールズ級)

    [編集] ドイツ
    T3
    ドイツ国鉄BR01形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR03形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR05形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR18形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR24形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR38形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR42形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR44形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR50形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR52形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR86形蒸気機関車
    ドイツ国鉄BR89形蒸気機関車
    S3/6

    [編集] フランス
    フランス国鉄141R形蒸気機関車

    [編集] アメリカ合衆国
    ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車(ビッグボーイ)
    ノーフォーク&ウエスタン鉄道Jクラス蒸気機関車
    ニューヨークセントラル鉄道Jクラス蒸気機関車
    ペンシルベニア鉄道Kクラス蒸気機関車
    サザンパシフィック鉄道GS-4形蒸気機関車

    [編集] 関連項目
    ウィキメディア・コモンズには、蒸気機関車 に関連するカテゴリがあります。
    [編集] 蒸気機関車の形式・車両
    国鉄機関車の車両形式
    ギアードロコ
    マレー式機関車
    キャメルバック式蒸気機関車
    キャブフォワード
    過熱式
    パニア
    サドルタンク
    ウェルタンク
    ダミー
    USRA

    [編集] 蒸気機関車の機構
    蒸気機関車の構成要素
    カウキャッチャー
    除煙板
    車輪配置

    [編集] 蒸気機関車に関係する文化
    汽車のえほん
    きかんしゃトーマス
    きかんしゃ やえもん
    銀河鉄道999
    パシフィック231 (オネゲル)

    指宿市

    指宿市(いぶすきし)は、鹿児島県薩摩半島の南端にある市。指宿温泉の名で知られる、観光の街である。

    その温暖な気候から「日本のハワイ」を自称しており、観光促進と冷房節約の観点から、毎年5月下旬に行われる市長の「アロハ宣言」から9月末まで市職員・銀行職員などがアロハシャツを公用服として着用する。近年はオクラの産地として有名。

    地理
    鹿児島市から南へ約50kmの場所、薩摩半島の南東端に位置し、市の北東部から東部~南部~南西部にかけて東シナ海と鹿児島湾に面している。市域の中央部に池田湖があり、その東側には鰻池がある。市の南西部の東シナ海沿いには開聞岳がある。

    主に海岸沿いに市街地が形成されているが、開聞岳近辺の地域では開聞岳より内陸に市街地がある。


    隣接している自治体
    鹿児島市
    南九州市

    歴史

    近現代
    1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
    揖宿郡指宿村・今和泉村・山川村
    1896年(明治29年)3月29日 頴娃郡を編入、揖宿郡頴娃村となる。
    1930年(昭和5年)1月1日 山川村が町制施行、山川町となる。
    1933年(昭和8年)5月1日 指宿村が町制施行し指宿町となる。
    1948年(昭和23年)9月1日 今和泉村の一部を分離し、利永村が発足。
    1950年(昭和25年)8月1日 頴娃村が町制施行し頴娃町となる。
    1951年(昭和26年)10月1日 頴娃町の一部を分離し、開聞村が発足。
    1954年(昭和29年)4月1日 指宿町と今和泉村が合併(新設合併)し市制施行。指宿市が発足。
    1955年(昭和30年)4月1日 利永村を分割し、山川町と開聞村に編入。同時に開聞村が町制施行し、開聞町となる。
    2004年(平成16年)12月17日 小泉純一郎首相と盧武鉉韓国大統領の会談が市内のホテルで行われた。
    2006年(平成18年)1月1日 山川町・開聞町と合併(新設合併)し、新たに指宿市となる。

    行政

    指宿市役所市長:田原迫要(旧指宿市長)
    市長職務執行者(新市発足から新市長選出まで):福岡亮一(旧開聞町長)

    市の行政機関

    県の行政機関
    鹿児島県警察:指宿警察署

    国の行政機関

    姉妹都市・友好都市

    国内
    人吉市(熊本県)- 1979年1月姉妹都市盟約
    千歳市(北海道)- 1994年4月姉妹都市盟約

    海外
    ロックハンプトン市(オーストラリア連邦クイーンズランド州)- 1980年11月姉妹都市盟約

    教育

    高等学校
    鹿児島県立指宿高等学校
    鹿児島県立山川高等学校
    指宿市立指宿商業高等学校

    中学校
    市立
    指宿市立北指宿中学校
    指宿市立南指宿中学校
    指宿市立西指宿中学校
    指宿市立山川中学校
    指宿市立開聞中学校

    小学校
    市立
    指宿市立指宿小学校
    指宿市立魚見小学校
    指宿市立柳田小学校
    指宿市立丹波小学校
    指宿市立今和泉小学校
    指宿市立池田小学校
    指宿市立山川小学校
    指宿市立大成小学校
    指宿市立徳光小学校
    指宿市立利永小学校
    指宿市立開聞小学校
    指宿市立川尻小学校

    養護学校
    鹿児島県立指宿養護学校

    交通
    最寄り空港は鹿児島空港。

    道路
    高速道路の最寄りインターチェンジは指宿スカイライン頴娃インターチェンジ。


    一般国道
    国道226号
    国道269号
    国道448号

    主要地方道
    鹿児島県道17号指宿鹿児島インター線
    鹿児島県道28号岩本開聞線

    道の駅
    道の駅いぶすき

    鉄道路線
    九州旅客鉄道(JR九州)
    指宿枕崎線
    薩摩今和泉駅 - 宮ヶ浜駅 - 二月田駅 - 指宿駅 - 山川駅 - 大山駅 - 西大山駅 - 薩摩川尻駅 - 東開聞駅 - 開聞駅 - 入野駅
    中心となる駅:指宿駅
    隣接市町村への連絡、広範囲な連絡:指宿枕崎線
    指宿枕崎線には「快速なのはな号」という快速列車がある。時間帯によって停車駅が変わるが、指宿駅・山川駅は全ての時間帯で停車する。

    バス路線
    鹿児島交通

    コミュニティバス
    イッシーバス

    港湾
    指宿港
    山川漁港

    名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

    名所
    池田湖
    九州最大の湖。カルデラ湖。周囲15km、最深部で233m。
    5500年前の火山活動で湖が形成された。
    1970年頃の統計によれば、「透明度26m」と記録されている。現在の湖面は水質汚染が進んだ結果、濁っている。
    1978年、この湖で怪獣を見た、との情報があり、イギリス・ネス湖のネッシーにちなんで「イッシー」と名づけられた。
    毎年1月ごろに湖岸を菜の花が荘厳に彩る。毎年1月の第二日曜日に催される「いぶすき菜の花マラソン」の名前はこの菜の花に因み、池田湖岸の道路は同マラソンのコースに採用されている。
    長崎鼻
    山川地熱発電所
    枚聞神社(別表神社指定)
    揖宿神社
    開聞山麓自然公園

    観光
    指宿温泉
    薩摩藩島津家の領主が湯治に使っていたという「殿様湯」は現在も残っている。

    市内どこでも1m掘ればお湯が湧き出る、と言われるほど湯量は豊富。実際、海岸などを掘ると熱い蒸気が噴出すところがある。これを利用したのが砂蒸し風呂。海岸に寝そべった上から砂をかけてもらうと蒸気で徐々に体が温まり、その効果はまるでサウナのよう。温泉ファンならずとも一度は試してみたいものとして人気がある。

    知林ヶ島(かおり風景100選:指宿知林ヶ島の潮風)
    (干潮時には対岸と砂の道でつながり、島へ渡れたが、2006年の台風13号の影響で砂州が流され、一時期閉鎖されていた。しかし2007年3月には、砂州が復活した事が確認されている。)
    山川温泉(砂むし温泉、ヘルシーランド温泉)
    鰻温泉
    開聞温泉
    浜児ヶ水区温泉
    成川区温泉
    岡児ヶ水区温泉
    フラワーパーク
    開聞山麓自然公園

    祭り
    開聞町夏まつり:8月

    指宿市出身の有名人
    三反園訓(テレビ朝日コメンテーター)
    川原泉(漫画家)
    西炯子(漫画家、イラストレーター)
    田之上慶三郎(プロ野球選手福岡ソフトバンクホークス)
    タマリ(KTSタレント)

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