奄美の「瀬戸内の歌姫」デビュー(中)店のエプロンにスリッパでオーディション参加
奄美の「瀬戸内の歌姫」デビュー(中)店のエプロンにスリッパでオーディション参加 (1/2ページ)
2008.6.21 18:22
このニュースのトピックス:ウイークエンド「MSN産経ニュース」
「瀬戸内の歌姫」オーディションでエプロンにスリッパ姿で歌う川島マナミさん=08年1月20日、鹿児島県奄美市(瀬戸内町提供) 鹿児島県・奄美大島にある瀬戸内町のPRソングを歌う「瀬戸内の歌姫」。しかし、「歌姫」が町在住の中華料理店員、川島マナミさん(21)に決まるまでには紆余曲折があった。
「瀬戸内町では、将来に大きな活躍が期待できる新人を探しています。歌手を目指す方、瀬戸内町の魅力を全国発信できるフレッシュな方のご応募をお待ちしております。なお、最終合格者は、CDデビューのチャンスがあります」
町は昨年12月、こんな「新人歌手オーディション」の募集を始めた。若者の本土流出に悩む人口1万人の過疎の町で、「16歳から30歳までの町在住の女性」から「歌姫」を発掘するという至難のプロジェクトを任されたのは、町企画課の当時の企画開発係長、加藤和正さん(48)だった。
加藤さんは「歌のうまい子がいる」という情報を得て、川島さんが働くショットバー「サンテリア」を訪ねて口説いた。
川島さんは、友達と島の黒糖焼酎「れんと」を飲み、カラオケで元ちとせや浜崎あゆみを歌うのは大好きだったが、「そんな人前で歌うようなものじゃないです」。
加藤さんはその後も店に飲みにきて「とにかく出るだけでいいから」「オーディションの曲を決めてくれ」。結局、オーディション参加者は町のドコモショップに勤める27歳と、プロ指向という28歳、女子高生、そして根負けした川島さんの4人となった。
年が明けた今年の1月20日。「瀬戸内の歌姫」選考オーディションは町の「サンフラワーシティホテル」5階ホールで行われた。審査員は観光大使で発案者の辻正司さん、作曲家の岡千秋さん、アメ横のCD店主の小林和彦さんの3人。1日1便の羽田発の日航機でやってきた。
奄美の「瀬戸内の歌姫」デビュー(中)店のエプロンにスリッパでオーディション参加 (2/2ページ)
2008.6.21 18:22
このニュースのトピックス:ウイークエンド「MSN産経ニュース」
「瀬戸内の歌姫」オーディションでエプロンにスリッパ姿で歌う川島マナミさん=08年1月20日、鹿児島県奄美市(瀬戸内町提供)
川島さんは昼間働く中華料理店「栄屋」を1時間だけ早引けして駆けつけた。店の青いエプロンに赤いスリッパ姿のまま、晴山さおりの演歌「一円玉の旅がらす」を歌った。川島さんは原曲を聴いたことがなかったが、祖母が「十五夜」と呼ばれる集落の秋祭りで毎年、歌っていたため覚えてしまったという。
でも、「すごく緊張して、声が全然出てなかった」。オーディションは2曲ずつで、2曲目の順番を待つ間、応援にきていたショットバーのオーナー、高塚勇輝さん(28)がスーパードライの350ミリリットル缶を手渡した。「隠れて飲んでこい」。トイレで一気飲みして2曲目、元ちとせの「いつか風になる日」を歌った。
審査の結果、ドコモショップで働く27歳が「瀬戸内の歌姫」に決まった。川島さんは「あー、終わった」と、友達と島いちばんの都会、名瀬(奄美市)へボウリングに出かけた。
翌日の地元紙「南海日日新聞」でも結果が報じられたが、ドコモショップの彼女は家族会議で全員が猛反対。町役場の加藤さんは小林さんに電話して、困った声で「駄目です」と告げた。小林さんはすかさず「次点の川島マナミを口説いてくれ」と頼んだ。
審査では3人のうち小林さんだけが川島さんを推していた。小林さんは「僕は初めからマナミちゃんだった」と言う。
「最初に選ばれた子は確かに歌はうまかった。でも、僕は40年間、レコードやCDの店をやって売れる歌手の声、大衆が認める歌手の声を求めてあるってる(歩いている)わけだから。マナミちゃんの声は、奄美そのものだった。奄美の澄んだ水と空気と人の心そのものだった」
川島さん説得のため、加藤さんが再びショットバーに現れた。
2008.6.21 18:22
このニュースのトピックス:ウイークエンド「MSN産経ニュース」
「瀬戸内の歌姫」オーディションでエプロンにスリッパ姿で歌う川島マナミさん=08年1月20日、鹿児島県奄美市(瀬戸内町提供) 鹿児島県・奄美大島にある瀬戸内町のPRソングを歌う「瀬戸内の歌姫」。しかし、「歌姫」が町在住の中華料理店員、川島マナミさん(21)に決まるまでには紆余曲折があった。
「瀬戸内町では、将来に大きな活躍が期待できる新人を探しています。歌手を目指す方、瀬戸内町の魅力を全国発信できるフレッシュな方のご応募をお待ちしております。なお、最終合格者は、CDデビューのチャンスがあります」
町は昨年12月、こんな「新人歌手オーディション」の募集を始めた。若者の本土流出に悩む人口1万人の過疎の町で、「16歳から30歳までの町在住の女性」から「歌姫」を発掘するという至難のプロジェクトを任されたのは、町企画課の当時の企画開発係長、加藤和正さん(48)だった。
加藤さんは「歌のうまい子がいる」という情報を得て、川島さんが働くショットバー「サンテリア」を訪ねて口説いた。
川島さんは、友達と島の黒糖焼酎「れんと」を飲み、カラオケで元ちとせや浜崎あゆみを歌うのは大好きだったが、「そんな人前で歌うようなものじゃないです」。
加藤さんはその後も店に飲みにきて「とにかく出るだけでいいから」「オーディションの曲を決めてくれ」。結局、オーディション参加者は町のドコモショップに勤める27歳と、プロ指向という28歳、女子高生、そして根負けした川島さんの4人となった。
年が明けた今年の1月20日。「瀬戸内の歌姫」選考オーディションは町の「サンフラワーシティホテル」5階ホールで行われた。審査員は観光大使で発案者の辻正司さん、作曲家の岡千秋さん、アメ横のCD店主の小林和彦さんの3人。1日1便の羽田発の日航機でやってきた。
奄美の「瀬戸内の歌姫」デビュー(中)店のエプロンにスリッパでオーディション参加 (2/2ページ)
2008.6.21 18:22
このニュースのトピックス:ウイークエンド「MSN産経ニュース」
「瀬戸内の歌姫」オーディションでエプロンにスリッパ姿で歌う川島マナミさん=08年1月20日、鹿児島県奄美市(瀬戸内町提供)
川島さんは昼間働く中華料理店「栄屋」を1時間だけ早引けして駆けつけた。店の青いエプロンに赤いスリッパ姿のまま、晴山さおりの演歌「一円玉の旅がらす」を歌った。川島さんは原曲を聴いたことがなかったが、祖母が「十五夜」と呼ばれる集落の秋祭りで毎年、歌っていたため覚えてしまったという。
でも、「すごく緊張して、声が全然出てなかった」。オーディションは2曲ずつで、2曲目の順番を待つ間、応援にきていたショットバーのオーナー、高塚勇輝さん(28)がスーパードライの350ミリリットル缶を手渡した。「隠れて飲んでこい」。トイレで一気飲みして2曲目、元ちとせの「いつか風になる日」を歌った。
審査の結果、ドコモショップで働く27歳が「瀬戸内の歌姫」に決まった。川島さんは「あー、終わった」と、友達と島いちばんの都会、名瀬(奄美市)へボウリングに出かけた。
翌日の地元紙「南海日日新聞」でも結果が報じられたが、ドコモショップの彼女は家族会議で全員が猛反対。町役場の加藤さんは小林さんに電話して、困った声で「駄目です」と告げた。小林さんはすかさず「次点の川島マナミを口説いてくれ」と頼んだ。
審査では3人のうち小林さんだけが川島さんを推していた。小林さんは「僕は初めからマナミちゃんだった」と言う。
「最初に選ばれた子は確かに歌はうまかった。でも、僕は40年間、レコードやCDの店をやって売れる歌手の声、大衆が認める歌手の声を求めてあるってる(歩いている)わけだから。マナミちゃんの声は、奄美そのものだった。奄美の澄んだ水と空気と人の心そのものだった」
川島さん説得のため、加藤さんが再びショットバーに現れた。






















はてなに追加
MyYahoo!に追加
del.icio.usに追加
livedoorClipに追加
